閏札/URUUFUDA

2022/04/09 23:29



◯スート(マーク)について


4種のマークは、冬は雪、春は桜、夏は雫、秋は紅葉で日本の四季を表現しています。トランプと赤と黒の系統の二項で大別し、雪と雫は水で温度を感じさせるもの、桜と紅葉は植物で視覚的な彩りを感じさせるものを抽象化して表現しています。

普通のトランプとは、「♠:雪」「♦:桜」「♣:雫」「♥:紅葉」で対応しており、商品の中に、閏札のマーク・絵札と通常のトランプとの対照表を同封しています。

◯絵札について


閏札の絵札12枚のシルエットは、それぞれのマークの四季にまつわる和歌を詠っている歌人がモチーフにしています。

それぞれの歌人は、初見の現代人の視点でも直感的に良いと思える歌の中から、さらに文脈や人物の背景を理解することでさらに奥行を感じられる歌人を万葉集から古今和歌集以下の勅撰和歌集や有名歌人の歌集など約4万首の和歌を読み、選びました。

絵札のJ、Q、Kの解釈については、直感的にJだったら男性、Qは女性のように認識できることをベースに、それぞれを下記のように再解釈し、歌人を配置しました。

Jack(ジャック):11→士(宮仕えする男子)→殿上人

Queen(クイーン):12→十二単(平安時代の女性の服装)→女流歌人

King(キング):13→十三月(太陰太陽暦の閏月)、閏の正統ではないという意味を社会から一歩身を引いた人と解釈し、出家した人物などを配置しました。


【桜の文様】
春のモチーフは、直感的に桜が念頭にはありましたが、決め打ちせず、春の和歌を一通り読んでみてフラットに決めることにしました。
(結果、和歌を読むのに半年近くかかりました。。。)

元々、古代では中国の影響から梅の花を詠う歌が多く、時代を経る中で桜の歌が増えていくという時代変遷があります。

咲いたときの美しさ、すぐ散ってしまう儚さに心奪われ、当時の人々が己の心情を投影する存在。

現代人で和歌に詳しくない自分の感覚でも共感できる部分は多いと感じ、あらためて桜を選びました。


【桜の十一(Jack)】
在原 業平(ありわらのなりひら)
825年〜880年

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
(古今和歌集 五三)

この世に桜というものが無かったなら、
春の人の心はのどかであったろうに。


【桜の十二(Queen)】
相模(さがみ)
生没年不明:995~999年頃〜1061年以降

花ならぬ 慰めもなき 山郷に 
桜はしばし 散らずもあらなん
(玉葉和歌集 二二九)

花以外の慰めもない山里なので、
桜はしばしの間散らないで欲しい。


【桜の十三】(King)
西行(さいぎょう)
1118年〜1190年

憂き世には 留め置かじと 春風の 
散らすは花を 惜しむなりけり
(玉葉和歌集 二三二)

憂き世に留めておくまいと、春風は
花を惜しんで散らしているのだろう。


【雫の文様】
夏のモチーフは、暑い夏の中で”涼”を感じさせる雫です。
夏の和歌では、圧倒的に時鳥(ホトトギス)が多いです。
しかし、現代人はホトトギスの鳴き声で季節感を感じる感覚があまりなく、あまりピンと来ませんでした。それよりも、雫や水の流れに音や秋をのせて涼を表現する優雅さに惹かれたため、雫をモチーフにしました。


【雫の十一】(Jack)
紀 貫之(きのつらゆき)
872年〜945年

あしひびの 山下水は 行き通ひ 
琴の音にさへ 流れべらなり
(後選和歌集 一六八)

山のふもとを流れる涼やかな水が、
琴の音にのって流れてくるようだ。


【雫の十二(Queen)】
中務(なかつかさ)
912年頃〜991年頃

下くぐる 水に秋こそ かよふらし
掬むすぶ泉の 手さへ涼しき
(新千載和歌集 三◯二)


地面を潜って流れる水には、もう秋が入り込んでいるようだ。
泉の水をすくい取る手にさえ、涼しさが伝わる。



【雫の十三】(King)
後鳥羽院(ごとばいん)
1180年〜1239年

呉竹の 葉ずゑかたより 降る雨に 暑さひまある 水無月の空
(遠島百首)

呉竹の葉末が片側になびくほど降る雨で、
暑さに絶え間がある、水無月(旧暦6月)の空。



【紅葉の文様】
秋のモチーフは、”紅葉”です。こちらも春の桜と同様に季節の代名詞のような存在ですが、こちらも決め打ちはせず、一通り秋の和歌を読み込み、結果的に順当に紅葉となりました。笑

情景としての美しさ、季節の代名詞としての存在など人の中で想起される存在の多彩さにおもしろさを感じました。


【紅葉の十一】(Jack)
凡河内 躬恒(みつね)
859年〜925年

風吹けば  落つるもみぢ葉  水清み  
散らぬ影さへ  底に見えつつ
(古今和歌集三◯四)

風が吹くたびに落ちる紅葉。水が澄んでいるので、
まだ散らずに残っている葉の姿まで底に映っている。


【紅葉の十二】(Queen)
二条院讃岐(にじょういんさぬき)
1141年〜1217年

散りかかる もみぢの色は 深けれど 渡ればにごる 山川の水
(新古今和歌集 五四◯)

山川の流れに散りかかる紅葉の色は深いけれども、
渡ると水は濁ってしまう。


【紅葉の十三】(King)
素性(そせい)
不明〜910年

紅葉葉に 道は埋れて 跡もなし 
いづくよりかは 秋の行くらん
(続後撰和歌集 四五六)

山道はもみじの葉に埋め尽され、痕跡もとどめない。
いったいどこを通って秋は去ってゆくのだろうか。


【雪の文様】
冬のモチーフは、”雪”です。昔の人にとっての冬は、現代人よりも厳しい季節で、寒さからくる死との距離感、雪・氷による外部との遮絶など、寂しさや春の渇望といった嘆きに近い歌が多い印象がありました。

その中で、雪を詠う和歌には厳しい冬や寂しさを慰めるような瞬間的な美しさや前向きさに共感し、雪を冬のモチーフとしました。


【雪の十一】(Jack)

清原 深養父(きよはらのふかやぶ)

生没年不明


冬ながら  空より花の  散りくるは  

雲のあなたは  春にやあるらむ

(古今和歌集 三三〇)


冬なのに 空から花が 散ってくるのは

雲の向こうは 春なのだろうか。




【雪の十二(Queen)】


和泉式部(いずみしきぶ)

978年〜没年不明


待つ人の 今も来たらば いかがせん 

踏ままく惜しき 庭の雪かな

(詞花和歌集集 一五八)


待っている人が今来たら、いかがしよう

踏まれるのが惜しい庭の雪よ。




【雪の十三】(King)

鴨 長明(かものちょうめい)

1155年?〜1216年


さびしさは なほのこりけり 跡たゆる

落葉がうへに 今朝は初雪

(無名抄)


季節が変わっても寂しさは残ったままだった。

人の跡が絶えた落葉の上に、今朝は初雪が積もった


ジョーカーは、13枚のカード(数札)をかつての暦である和暦(太陽太陰暦)の13ヶ月と解釈し、暦を司る存在として三日月と満月の2つの「月」をモチーフにしました。


トランプのジョーカーでは、低い身分であるものの、王に対して自由に物を言える存在である宮廷道化師が描かれることが多いように、ジョーカーには最強と最弱という二面性があります。


そこで、夜には絶大な存在感を放つ一方で、昼間はほとんど見ることができないという月の二面性をジョーカーとして解釈しました。



◯Jokerについて


ジョーカーは、13枚のカード(数札)をかつての暦である和暦(太陽太陰暦)の13ヶ月と解釈し、暦を司る存在として三日月と満月の2つの「月」をモチーフにしました。


トランプのジョーカーでは、低い身分であるものの、王に対して自由に物を言える存在である宮廷道化師が描かれることが多いように、ジョーカーには最強と最弱という二面性があります。


そこで、夜には絶大な存在感を放つ一方で、昼間はほとんど見ることができないという月の二面性をジョーカーとして解釈しました。